三原あさとOFFICIAL SITE

info

お知らせ

母方の祖父

本日は、秋分の日でありお彼岸の中日。

ご挨拶廻り、辻立ちなどのスケジュールの合間をぬって、高塔山霊園に眠る母方の祖父母のお墓参りに行ってきました。

鹿児島から熊本、そして当時の「若松市」に辿り着いた祖父母。そこで、東筑ヤクルトの販売店を営み家族を養ってきたそうです。苦労に苦労を重ねながら、私の亡き母を含む3姉妹を育て上げその後は折尾にて老後を過ごしました。

思い出すのは、両親共に働きに出ていた私のために毎日のように折尾からバスと電車を乗り継ぎ、当時小倉北区赤坂に住んでいた私のところに来てくれていたことです。

家族や親族で助け合う古き良き時代の温かい繋がりの中で、私は祖父母に見守られていたんだと、大人になってそのありがたさをしみじみと感じます。

薩摩武士という言葉が残るほど、武士道精神に富む場所でもあった鹿児島出身の祖父は、私に剣道を教えてくれた人でもあります。


「おじいちゃんと土日遊びたかったら、野球やソフトボールは練習があるから遊べないよー。剣道なら練習時間も短いし、土日、おじいちゃんと遊べるよー。」

という言葉にまんまと騙され、剣道を始めた小2の頃。

結局土日も練習や試合で、おじいちゃんとは遊べず。

子ども心に気付いた時には、時すでに遅し、でした。

しかし、一度竹刀を置いた私が浪人時代に再び剣道を再開し、大学に進学しても続けていたことを一番喜んでくれたのもやはり祖父でした。遠方の試合会場まで足を運んでくれたのを今でもよく覚えています。

祖父は私に国家公務員になってお国のために働いて欲しかったようですが、そこはおじいちゃん、ごめんなさい。

形は違えど政治家として、北九州市のため、日本のためにこれからもしっかり働かせていただけるよう尽力し続けたいと思っています。

歩いた道は違えど、鹿児島から北九州に辿り着き、この国を想い、武士道の心を大切にしながら私に想いを託してくれた祖父。墓前で手を合わせながら祖父の気持ちに応えるためにも頑張ろうと心を新たにした一日になりました。

じいちゃん、また来るけん。

また明日からも頑張ります!