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お知らせ

16年前、人生のどん底にいた私を拾ってくれた人

福岡市の高島宗一郎市長が、次の市長選挙には出馬しない。

その知らせを聞いて、16年前のことを思い出しました。

私にとって高島市長は、兄貴分であり、政治の師であり、そして人生のどん底にいた私に、新しい道を与えてくれた恩人です。

市長との出会いは、市長就任前の2010年9月でした。

当時の私は、発表されたばかりの司法試験に不合格となり、当時の試験制度では、もう受験することすらできない状況でした。積み重ねてきたものも、進むべき道も、すべてを失ったように感じていました。

そんな私に声をかけてくれたのが、アナウンサーから一転、福岡市長選に挑むこととなった高島宗一郎候補(当時)でした。

11月の投票日に向けて、「ぜひ同世代の随行秘書を」と声をかけていただいたことが、当時32歳だった私の人生を大きく変える転機となりました。

初めてともに戦った選挙戦。

高島候補は、早朝の辻立ちから夜まで、いつも全力、常にフルスロットルでした。挨拶回りの途中、疲労で足元がふらつく高島候補のベルトを、後ろから私がつかみ、身体を支えながら歩いた日のことを、今でも鮮明に覚えています。

あの選挙で掲げた言葉は、なんと今の福岡市の状況からは考えられない、

「とりもどせ元気。とりもどせ信頼。」

36歳の若き挑戦者は、大逆転の末に福岡市長に就任しました。

そして、そこから16年。

こども病院の移転問題、新型コロナという未曽有の危機、博多駅前の道路陥没事故。スタートアップ支援、天神ビッグバン、博多コネクティッド。

ピンチに直面するたびに先頭に立ち、新しいことに挑戦し続ける姿を、私は陰ながらずっと見てきました。

そして高島市長は、あの選挙が終わった後も、私が苦しい時には何度も手を差し伸べてくれました。

「仲間が困っている時に、助けに行かなくてどうするんだ」

その言葉どおり、緊急時にはいつも絶妙なタイミングで連絡をくださり、助言をくれたことも一度や二度ではありません。

その支えがあったからこそ、今の私があります。

北九州市議となってからは、高島市長の仕事を見る目もさらに変わりました。同じ地方自治に携わる政治家として、福岡市が次々と新しいことに挑戦し、街が変わっていく姿は、心からうらやましくもあり、大きな目標でもありました。

だからこそ、福岡市と北九州市が手を握り、「福北連携」が本格的に動き始めた時は、そしてその一助を担えたことは本当にうれしかった。

二つの都市が互いの強みを認め、競い合いながらも、福岡県、そして九州の未来のために力を合わせる。北九州を愛する私にとって、胸が熱くなる光景でした。

今回の不出馬表明を聞いて、以前、聞いた言葉を思い出しました。

「山登りは、頂上にたどり着くだけでは終わらない。そこから無事に下山してこそ、山登りだ。頂上に居続ければ、戻れなくなり、遭難してしまう。だからこそ、まだ余力のあるうちに、さっと身を引くことが大切なんだ」

今回の決断を聞いて、改めて、高島市長らしいと思いました。

そして、もう一つ思うことがあります。

あの日、高島さんが声をかけてくれなかったら、私は今、政治の世界にはいなかったと思います。

16年前、すべてを失ったと思っていた私に、新しい道を与えてくれた人。

政治とは何か。

人を支えるとはどういうことか。

その背中で教えてくれた人です。

高島市長。

16年間、本当に、本当にお疲れさまでした。

そして、心の底から、ありがとうございました。

まだ任期は残っています。最後まで高島市長らしく、走り抜けてください。

そして、その先にどんな新しい挑戦が待っているのか。

今から楽しみにしています‼️

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