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三原あさと後援会の
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お知らせ
9月に入りました。まだまだ暑さが続きます。皆さん、くれぐれも熱中症対策をお願い致します。
今朝(9月1日)は、朝一番の便で上京し、東京で活動しています。
まだ薄暗い中、車を走らせて空港へ向かうと、水平線が少しずつ明るくなっていきます。そして、飛行機で東京へ。
こうして飛行機に乗り、国政の仕事に向かうことができるのも、衆議院議員として送り出していただいたからこそです。
本日も震災対応をはじめ各種会議が党本部で行われます。精いっぱい働いてまいります。
さて、先日は、高島宗一郎市長との16年前の出会いについて書きました。
司法試験に不合格となり、進むべき道を見失っていた私に声をかけてくれた高島さん。あの出会いがなければ、私は今、政治の世界にはいなかったかもしれません。
では、そもそも、なぜ私は政治家を志したのか。
その原点は、さらに昔、子どもの頃にまでさかのぼります。
「みーくん、ちょっとこれ、困っとっちゃんね」
「あさと、ちょっと相談があると」
幼い頃から、友人や近所の方に、よくそんなふうに声をかけられていました。
私の祖父は衆議院議員として防衛庁長官などを務め、叔父も衆議院議員、父も北九州市議会議長を務めました。政治が身近な家庭で育ったこともあり、地域の方々がさまざまな相談を寄せてくださったのだと思います。
しかし、私が幼い頃から目にしてきたのは、政治家という肩書や華やかな世界ではありませんでした。
「困っている。何とかならないだろうか」
そう言って、切実な思いを抱えながら相談に来られる、地域の方々の姿でした。
もちろん、子どもの私に大したことができるはずもありません。
力もない。知恵もない。
せっかく相談してくださった方の役に立ちたくても、何もできない。そのことが、悔しくて仕方ありませんでした。
「もっと力をつけたい」
「困っている人の役に立てる人間になりたい」
振り返ってみれば、その思いこそが、私が政治を志した原点だったのだと思います。
大学卒業後、私は政治ではなく、司法の道を目指しました。
司法試験の壁に何度も跳ね返される私を見て、高校時代の同級生で、今も私を支えてくれている無二の親友からは、
「お前は、人と人との間に立って調整することが得意なんだから、司法よりも政治の世界が向いている」
と、何度も言われました。
それでも私は、司法の道を諦めずに挑戦を続けました。
そして2010年、司法試験に不合格となり、進むべき道を見失った私に声をかけてくれたのが、高島宗一郎さんでした。
人生とは、本当に不思議なものです。
長い遠回りをした末に、私は子どもの頃から自分の中にあった「原点」へと戻ってきました。
政治家となった今も、最もうれしい瞬間は、昔とそれほど変わりません。
本当に困っている方のお話を伺っていると、そのお気持ちは自然と伝わってきます。
単に自分の利益を求めているのではない。長い間苦労し、悩み抜いた末に、「三原に相談してみよう」と腹を決めて来てくださった――。
そのようなご相談には、やはり力が入ります。私も生身の人間ですから、何とかお役に立ちたいと心から思います。
じっくりとお話を伺い、一緒に考え、関係する方々のもとへ足を運び、解決への道筋を探していく。
そして最後に、
「よかったぁ、、。本当に助かりました、、。」
そう言って笑顔を見せていただける。
それが、私にとって何よりもうれしい瞬間です。
国会議員にならせていただき、携わる仕事の規模は大きくなりました。
国の予算や法律、そして北九州の将来を左右する大きなプロジェクトにも関わるようになりました。
しかし、その根っこにある思いは、子どもの頃から何一つ変わっていません。
「みーくん、ちょっと困っとっちゃんね」
いつまでも、そう気軽に声をかけていただける政治家でありたい。
そして、声をかけていただいたからには、
「相談してよかった」
そう思っていただける仕事をしたい。
16年前の出会いが、私を政治の世界へ導いてくれました。
しかし、そのずっと前から私の中にあった原点は、今も変わりません。
困っている人の声に耳を傾け、その方々と一緒に解決に向けて働かせていただく。
私は、これからもそんな政治家であり続けたいと思っています。

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